「点と線」や「砂の器」など多数の作品を残した作家の松本清張さんは、41歳で懸賞に応募した作品「西郷札」が入選し、作家デビューを果たします。
作家としてやや遅めのスタートを意識してか、清張さんは執筆意欲にあふれ、45歳の時だけで13本も作品を発表しました。
また50歳では執筆の限界に挑戦するべく、7本の連載を持ちました。
(このコンテンツは2011年4月20日九州スポーツ新聞 若林利光医師のコラム「長寿への道しるべ」を参考にしています)
しかし「書痙」を発症したため、以後は人に口述速記を頼み、創作を続けました。
書痙とは字を書こうとすると手が震える症状で、利き手をもう一方の手で支えなければ書けなくなったりします。
膨大な量の原稿を書いた清張さんの場合、激務による負担が書痙の原因と考えがちですが、書痙は精神的な理由で発症するようです。
清張さんの体に起きた異変は書痙だけではなく、59歳の時に十二指腸潰瘍が穿孔して、腹膜炎で入院します。
これらの病にも負けず清張さんは創作を続けますが、80歳を前にして前立腺と緑内障の手術を受けます。
さらに1992年4月、82歳になった清張さんは脳出血で倒れ、入院します。愛煙家だった清張さんの血管は、この頃には相当のダメージを受けていたと考えられます。
手術は成功し、その後療養していましたが、7月には病状が悪化し、肝臓がんも発見されます。
死の数日前から「すまないね」「ありがとう」と繰り返すようになり、最後まで苦しみを表さないまま、92年8月4日に亡くなります。82歳でした。
ちなみに、本名は松本 清張(まつもと きよはる)であり、ペンネームとは読み方が違うだけです。
清張さんの左目はほとんど見えず、眼鏡も左だけガラスだったそうです。