作家の司馬遼太郎さんは、1993年に文化勲章を受けた頃から腰の痛みを訴えるようになります。
 
症状から坐骨神経痛かと思われていましたが、実際には腹部大動脈瘤という重篤な症状だったのです。


 
それでも作品の取材で台湾を訪れ、李登輝総統と会談したり、青森県の三内丸山遺跡を取材するなど精力的な活動を続けます。
 
しかし1996年、取材旅行から帰ってすぐの深夜に吐血し倒れ、国立大阪病院(現:国立病院機構大阪医療センター)に入院しますが、2日後に腹部大動脈瘤破裂により72歳で亡くなってしまいます。
 
忌日2月12日は、司馬さんが菜の花を好んだから「菜の花忌」と呼ばれます。
 
ちなみに太宰治の忌日は、彼の作品の「桜桃」にちなみ「桜桃忌」です。
 
また、司馬さんが搬送された国立大阪病院は、司馬さんの小説「花神」の主人公で、戊辰戦争後に軍制改革を行った大村益次郎が亡くなった場所でもあります。
 
大村は日本陸軍の創始者と呼ばれています。
 
第二次長州征伐では、圧倒的に不利と思われていた長州軍を指揮し、幕府軍を撃退しました。
 
天才的軍略家であるだけでなく、語学、医学、化学と幅広い知識を有していた大村は、酒を好むと同時に、無類の豆腐好きだったそうです。
 

 
豆腐はビタミンB1が豊富です。
 
飲酒はビタミンB1を消費するので、豆腐でビタミンB1を補給するのは理にかなっています。
 
またビタミンB1は脳の働きも活発にします。大村が軍略家として才能を発揮できたのは、豆腐の栄養によるところが大きかったのかもしれません。
 
平成22年 6月2日水曜日付 九州スポーツ新聞
平成23年 1月12日水曜日付 九州スポーツ新聞
若林利光医師の「偉人たちに学べ」長寿への道しるべおよび
 
ウィキペディアの「司馬遼太郎」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B8%E9%A6%AC%E9%81%BC%E5%A4%AA%E9%83%8E
 
を参考にしました。