作家の五木寛之さんが、雑誌「週刊新潮」に連載されている「生き抜くヒント」で、自身の食生活や健康についてエッセイを書かれていました。
タイトルは「健康常識に逆らって」。
以下の記事は(PR:Amazon)週刊新潮 2016年2/18号54~55ページを参考にしています。
なぜ一日一食に?体調や体重は 不調は自覚して健康情報に興味はあるも…
五木さんは一日一食の生活を続けています。
午後に目を覚まして、夕方まで雑用をこなし、それからいろんな人と面会。いつのまにか夜になり、「まだ食事してない」と気づき、夕食(夜食)をそれなりにきちんととります。
やがて深夜になり、午前零時ごろから原稿を書き始めて、いつのまにか朝。
お風呂に入ってベッドの中で本を読んでいるうちに、いつのまにか眠る。
こうした生活リズムを続けるうちに、一日一食が自然と習慣になりました。
一日一食で、体調はどうなのかというと・・・
それが不思議なことに、とりたてて不自由はないのである。鏡を見ても、べつに痩せた感じはしない。
このところずっと体重を計ったことがないのだが、たぶん55キロから57キロの間といったところではあるまいか。
昔、20歳の頃がそれ位で、本当はもう1、2キロ肥りたいところだ。
(中略)
一日一食で、さほど飢餓感がないというのは、あまり運動していないからだろう。頭は使うが、首から下は右手しか使わない。
一日一万歩どころうか、千歩も歩いていないのではないかと思う。それでもなんとか生きている。
とはいえ、体は好調そのものというわけでないようで、
いまの私は、決して健康ではない。俗に八十歳をこえると八つの病いがある、という。それはまちがいない。
下肢の慢性的な痛みにはじまって、前立腺の肥大やらその他、自覚症状だけでも確実に五つはあるからだ。
”健康的”な習慣の大切さはよくわかっていても、実践するとなるとなかなか難しいようです。
早寝早起きが大事だという。三食きちんとバランスのとれた食事をしろという。
病気は早期発見、早期治療が常識だという。その通りだ。これっぽっちの異論もない。
ただ、世の中は理屈通りにはいかないものだと感じているだけである。
健康情報に興味がないわけではありません。
周囲を見回すと、いわゆる健康情報に振り回されて右往左往している人が多いことに気づく。かく言う私も、健康とか養生とかいう記事は丁寧に読んでいる。
そしてその都度、自分も試みてみようかと思う。
しかし、それは私にとって面白がってやる趣味の一つだ。まちがっても「健康は命より大事」などとは考えない。
ちなみに五木さんは大学生の頃、食うや食わずの貧乏生活を送っていました。あまりの窮乏から、売血で食べつないだこともあります。
200ccの血液をダブルで抜くと、一週間は食べられたのです。
文字どおり身を売って食物を得ていたわけで、
「ひょっとすると、私の意識下には食に対する潜在意識的な敵意がひそんでいるのかもしれない。もし食わずに生きることができたら、たぶんそうするのではないか。
カスミを食って生きるのが、私の夢である。
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