「脱亜論」や「人の上に人を作らず・・・」などの名言、そして1万円札でおなじみの思想家、福沢諭吉は高血圧から脳卒中を患ったことがあります。
このコンテンツでは、その福沢諭吉と山内容堂の健康関連話についてお知らせします。
福沢諭吉の脳卒中 驚きの治療法
諭吉の脳卒中治療では、なんとヒルに諭吉の血液を吸わせる方法がとられました。
しかも、使うのは1匹だけではありません。
耳の後ろに、なんと30匹ほどのヒルを貼りつけて、一斉に血を吸わせるのです。
これは水蛭(すいてつ)貼付法とよばれる立派な治療法で、当時は一般的に行われていました。薬局では生きたヒルも売られていたのです。
諭吉の脳卒中は軽かったこともあり、この「吸血治療」は効を奏して諭吉は命をとりとめます。
もちろん現在はこの治療法は行われていません(世界のどこかでは実践されているかもしれませんが)。食事や運動の管理、場合によっては薬により症状をコントロールします。
ちなみに、諭吉は子供時代から酒を飲み、酒量も相当なものでした。加えて晩年はタバコも吸っており、脳卒中を発症しても無理もない生活習慣だったようです。
現代は諭吉の時代よりも、脳卒中の検査・治療法がはるかに進歩しているとはいえ、生活習慣をおろそかにしてはいけません。
お酒はホドホドに、タバコは吸わないなど、血圧を上げないための常識として知られていることを、当たり前に実践していきましょう。
福沢諭吉の飲酒・喫煙
福沢諭吉は、緒方洪庵の蘭学塾に通っていたころから、大酒飲みで有名でした。「私の悪いことを申せば、生来酒をたしなむというのが一大欠点」と自ら語っていたほどです。
ある時、禁酒を宣言しますが、周囲は「続くわけない」と否定的。
そんな中、諭吉の気を紛らわそうと、友人が諭吉にタバコを勧めます。結果的には、これが良くありませんでした。
諭吉はそれまでタバコを非常に嫌っており、塾生の喫煙には批判的だったのです。しかし酒を飲めない辛さから、ついには自身もタバコを吸い始めてしまいます。
では禁酒は続いたのかというと、そうではありませんでした。(なんじゃそりゃ)
結局我慢できずにまた飲み始めてしまい、60歳で完全に禁酒するまで飲み続けました。タバコは一生吸い続けています。
こうしたことが重なったからか、諭吉は65歳の時に脳卒中で倒れてしまいます。一時危篤になりますが、奇跡的に回復。
しかし3年後にまた脳卒中の発作が起き、帰らぬ人となってしまいます。1901年2月3日68歳でした。
山内容堂の大酒と高血圧・脳卒中
「幕末の四賢侯」と呼ばれた山内容堂は明治維新後、政府の要職に就きますが、すぐに辞職してしまいます。
その後は宴会と詩作三昧の日々を過ごし、これが体を壊す原因になってしまいます。
容堂は自身を「鯨海酔侯」と称するほどの大酒飲みでした。過度の飲酒は言うまでもなく健康を害します。
中性脂肪が増加して動脈硬化が進むだけでなく、尿酸が増えるので腎機能が弱り、血圧も上がります。加えて酒の肴に含まれる塩分が血圧上昇をさらに促してしまいます。
こうした不摂生がたたり、容堂は脳卒中を発症し44歳で亡くなってしまいます。明治4年の話とはいえ、さすがにこれは早すぎる死としか言いようがありません。
容堂の例は現代の私達にも教訓になります。
暴飲・暴食は慎み、何事もほどほどにして正常血圧をキープしましょう。