「無病法 極小食の威力」ルイジ・コルナロ著という本を読みました。
ルイジ・コルナロとはルネサンス期のイタリアの貴族で、若い頃は暴飲暴食に明け暮れていました。
無病法(Amazon)
※サンプルを読む・Kindle版あります
動くことの重要性 格言多数 華陀やヒポクラテス
その結果30代で成人病を発症し、40代で生死の境をさまよう大病を患ってしまいます。
それから節食生活を始め、なんと102歳で天寿を全うしました。当時としては驚異的な長寿です。
これは言うまでもなく少食の本なのですが、個人的には、本の後半で力説されている「歩くこと」の重要性も心に残りました。
なので、少食の本にも関わらずウォーキングについてとりあげてみます。
まずこの本では、体を動かすことがいかに大事かが強調されていて、古来からの格言を複数引用しています。
ヒポクラテス
「筋肉を十分に使っている人は病気にかかりにくく、いつまでも若々しい」
後漢末の名医 華陀
「人体はなるべく動かすのが望ましく、ただ極端になるのを避ければ、動けば動くほど体の中にある穀気(食物の栄養分)が消化され、血液の流れがよくなるから、病気も起こらない。私はこれを行っているために、90歳になるが、耳目も衰えず、歯も健全だ」
貝原益軒
「身体は日々少しずつ労働すべし。久しく安座すべからず」
「是うごく者は長久なり、うごかざる物はかへって命みじかし」
フランシス・ベーコン
「30分以上続けて座るようなことは避けるべきだ」
インドの伝統医学アーユルヴェーダ
「座業をする人は、夕方にも軽度または中等度の運動を行うことが好ましい」
「(運動は)醜く、年老いた人にさえも、他人に対して快感をあたえる容貌をつくりだす」
このコンテンツを作成時点で、私は毎日、余裕で30分以上座り続けてますよ・・・orz
ロコモティブシンドロームが取りざたされる昨今、私と似たような生活の人は多いのではないでしょうか。
運動量、もしくは活動量が減った一番の原因は、歩かなくても済む生活環境になったからです。
現代では歩くことが「ウォーキング」という特別な運動になっています。
普段の生活でいくらでも歩いていた昔の人からすれば「?」と感じるのではないでしょうか。「なんでわざわざ時間とって歩いてんの?」とか言われてしまいそうです。
「歩く」ことの重要性 格言多数 J.K.ローリングさんも
「わざわざ」であっても、ある程度歩く量は確保するべきです。
この本には食養研究家の中倉玄喜氏の解説がついています。
「日々よく歩くことは、ふつう思われている以上に、健やかな晩年を迎えるためには節食に次ぐ、まさに不可欠な習慣なのである」
(本文110ページ)
現代生活は「便利」と称されますが、歩かなくなったことでものすごく大切なものを失っているのかもしれません。
歴史の偉人・著名人や世界のことわざも歩行の大切さを強調しています。
「歩きが解決する」
ラテン語のことわざ
「ウォーキングは最良の運動である」
トーマス・ジェファーソン
「要するに、歩け!歩いて健康と幸福とを手に入れよ。私の場合、もし速足で歩くことができないとしたら、おそらくすぐにも廃人になることだろう」
チャールズ・ディケンズ
「一日に少なくとも四時間歩くことができなければ、私は心身の健康を保てないだろう」
ヘンリー・ソロー
「夕食の前にも夕食の後にも、しばし歩きたまえ」
エラスムス
「昼食(主食)後はしばらく動かず、夕食後は1マイル歩くこと」
イギリスのことわざ
「真に優れた思想はすべて歩くことから生まれている」
フリードリヒ・ニーチェ
「考えがはっきりした形をとるのは、歩いているときである」
トーマス・マン
「夜の散歩ほどよいアイディアをもたらすものはない」
J・Kローリング(ハリー・ポッターシリーズの著者)
私は長いこと健康トピックを扱っていますが、ウォーキングの効能をこれほどまとめて目にしたのは初めてです。
もっと早くに話題にすべきだったかもしれません。
夕食後に歩くとこんな効果が 中倉玄喜氏
上で「夕食後に歩く」ということわざを紹介しました。中倉氏によると、夕食後の散歩には
・抜け毛の抑制
・目の下のくまやたるみや顔のシミを防ぐ
といった効果があるそうです。
歩くことで、「内臓による本来の消化・排泄機能が促進されるので、副次的な排泄器官でもある頭髪や皮膚からの有害物の除去が少なくなるため」です。
いかがでしょうか?
歩行の重要性を説く格言をこれだけ連打されれば、「もうちょっと歩こうかな・・・」という気になりませんか?
私は日頃からそれなりに歩行を意識しているつもりですが、今後はさらに考えを進めてみます。
「あ、今日はめんどくさいから自転車で」というのをできるだけ減らさなくては。
私もいいトシになってきたので、余計に歩かねばダメですよね。
歩くことの重要性 終わり