現在日本での自殺者は毎年三万二千人、自殺志願者はその十倍の三十万人以上、うつの人はさらにその十倍の三百万人とも、四百万人とも言われています。

毎日毎日百人弱の人が自殺していると考えると、なんとも悲しい気分になります。
 
自殺の大きな原因と考えられるストレスを少しでも軽くする方法について考えてみます。




話す・書くで悩みが軽くなる理由

楽天的感情は左脳の前頭前野という場所で生まれ、憂うつな感情は右脳の前頭前野で生まれるとされています。
 
不安・悩み事など憂うつな感情は話したり書いたりすることで軽くなり、気分が晴れるという特徴があります。
 

 
言語中枢は左の前頭野の後下部にあり、言葉を考えたり一時的に言葉を取り出して使う場所は、左脳の前頭前野にあります。
 
話したり書いたりして自分のストレスを表現することは、この左脳の前頭前野を刺激するため、楽天的感情が生まれます。結果的に気分が明るくなり、ストレスにも強くなるわけです。
 
現在何か心を煩わせていることがあったら、その対象を詳しく描写して書き、さらにその対処法をできるだけ第三者的な立場で(言い換えるなら、クールなさめた目で)書き出してみてください。
 
私の個人的な感想としては、悩み事を客観的に見られるようになり、いやなことが大したことではないような気分になります。
 
かつて私はメルマガを発行していました。白状しますと、毎回書き始めるまでは「面倒だなー」とか思って先延ばししてしまうのですが、いったん取り掛かるととても楽しく書けます。
 

 
書いたり話したり、というのが気分を明るくする助けになるのは間違いないと個人的に思っています。
 
携帯やパソコンでのメールがこれだけはやっているのも「書く」こと自体が心地よいからではないでしょうか。




「悩む」とは「念力」を送るようなもの

プールで水中歩行をしていて気づいたことがあります。
 
目の前に転がっている鉛筆に対して心の中で念力を送ります。「動けー!動けー!」と念力をひたすら送ります。何度も何度もやってみます。
 
当然のことながら鉛筆は動きません。それでも「動け」と念じ続ける。
 
冷静に考えると、なんてアホなことをやっているのか、という話になります。
 
「悩む」行為も、この「念力」と似たようなものではないでしょうか?
 
実際に手を伸ばさなければ鉛筆が動かないように、頭の中でどれだけ悩んでも事態は変化しません。だったら何の役にも立たない「念力」を送るよりも、もっと生産的なことに脳と時間を使うべきです。 
 
自分を悩ませている相手・場面に実際に対したとき以外に事態を変える機会はない、と気づいてから、私はくよくよ悩むことが少なくなりました。
 

 
客観的な評価はどうかわかりませんが、私としてはなかなかいいことに気付いたつもりです。「念力を送っても意味がない!」と、少しでも悩みが軽くなるといいのですが。




座禅の数息観 嫌なことで頭が一杯になって眠れないなら

それでも寝るときになって、嫌なことが頭から離れないことはあるものです。
 
そういうときに、座禅の数息観を薦めてある資料がありました。 座禅では自分の呼吸を数えます。
 
これを数息観と言い、ゆっくり息を吐きながら「ひとーー」、ゆっくり吸いながら「つーー」とやります。
 
これで「ひとつ」ですね。この調子で「(吐く)ふたーー(吸う)つーー」とやっていき、十まで数えたら一に戻ります。
 

 
このように単純作業を繰り返し、悩む気持ちで心を満たさないようにすることを仏教で「念を継がない」というそうです。
 
「念を継ぐ」とは、「この前A(あなたを悩ませる嫌なやつ)に会った。Aには昔悪口を言われた。あの時は・・・」というように、Aのことを次々と思い出す状態のことを言います。 
 
息の数を数えているときも、ついこの「念を継ぐ」状態になり、いつのまにか十五まで数えたりするものですが、それでもめげずにまた一からを繰り返します。
 
これは西洋で羊の数を数えるのとおなじで、単純なことを繰り返し、深呼吸をすることで気持ちが落ち着いてきます。すると不思議と眠れるようになるものです。
 
悩みごとで頭がいっぱいになって眠れない、という時は試してみて下さい。