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このコンテンツでは徳川光圀ほか歴史上の人物の食生活などをまとめています。




黄門様は美食家?でも生活は質素

徳川光圀は「黄門さま」として有名で、クイズ番組などで「日本で最初にラーメンを食べた人物」としてとりあげられることがあります。
 
食については貪欲な人物だったようで、ビスケット 餃子 チーズ 牛乳 ワイン ジャム を口にしたとの記録が残っています。
 

 
当時は生類憐みの令が出ていましたが、それを無視して、牛肉 豚肉 羊肉も食べていました。こう書くと、いかにも美食家で不摂生なイメージがありますが、日ごろの生活は至って質素でした。
 
食事は「一汁二菜三菜」と記録されています。
 
白米 味噌 野菜 干し魚 生魚を主に食べていました。治めていた水戸藩は水産物が豊富なのです。
 
野菜では大根とニンニクが好きでした。いずれも健康食材として知られていますね。
 
光圀も家康同様、薬への理解が深く、朝鮮、支那、オランダなどから薬をとりよせていました。
 
大変貴重で価値のある薬ばかりでしたが、領内で薬を必要とする者がいたら惜しげなく与えました。
 

 
テレビ「水戸黄門」のクライマックスで「これが目に入らぬか!」と出される印籠は、薬入れです。まぁあのドラマはフィクションですが・・・。




光圀公の健康の秘訣 「桃源遺事」より

光圀公には健康維持における秘訣がありました。「桃源遺事」にこう書かれています。

無病延命の術は、鳥獣に習うしかない。鳥獣は腹が減ったら食い、空腹が収まったらもう喰わない。欲情が起これば交わるが、欲情が収まれば終わる。
 
だが、人間はどうだ。
 
うまければ腹いっぱいになってもまだ喰うし、美人相手だと限度や回数を考えない。これによって脾や胃を壊し、腎もおかしくなるのだ。
 

藩主時代に発した九ヶ条の訓戒で「欲と色と酒を敵と知るべし」と述べています。
 
簡単に言うなら、「何事も節度を持ってホドホドに」ということでしょうか。
 
これも現代に通じる健康法ですね。ちなみに、光圀公も薄着で過ごしたそうです。(95~104ページ)




その他歴史上の人物 健康関連話

そのほか、「日本史偉人伝『健康長寿法』」から、へぇーと思った健康小ネタを紹介します。

細川忠興も薬を調合 家康の秘薬作成に熱心

細川忠興も薬の調合を行っていました。
 
家康の秘薬「紫雪」をどうにか作ろうと情熱を燃やし、家康の死後に製法を調べ、医師の指導を受けながら調剤を試みています。(68~71ページ)

大久保彦左衛門は鰹節大好き

大久保彦左衛門は鰹節を大変好み、
 
「朝夕かつお節をかじっている」
「かつお節の上の皮を削ったものを常に持ち歩き、合戦前やひもじいときなどに齧ると、思いのほか力があふれてくる」
 
と語っています。
そのおかげか、80歳まで生きました。(72~78ページ)
 

二宮尊徳は道端でも寝る!

二宮尊徳(金次郎)は疲れを感じたら、たとえ移動中の道端でも横になって睡眠をとりました。
 
夏はもちろん、冬でも。尊徳の弟子もそれにならい、道端で横になることがあったそうです。(156~158ページ)

毛利元就はお酒を飲まない その理由は…

毛利元就は75歳で没するまで酒を飲みませんでした。
 
祖父・父・兄の三人が大酒で命を失ったからです。(54~55ページ)
 
中には疑問に感じるものもありますが、「何事もほどほどに」など、多くは現代でも通用する健康法です。
 
昔ながらの知恵と、発達した現代の医療技術をうまく融合させていけば、健康法がさらに進歩するのではないでしょうか。
 
歴史上の人物の健康関連話 終わり。