徳川家康・伊達政宗の健康法 食習慣や医療の知識

「日本史偉人『健康長寿法』森村宗冬 著」という本を読みました。歴史上の人物の健康関連話が集めてあり、私的にはウハウハな本です。
 
この本の中から、へぇーと感じた内容を紹介します。以前記事にした人物もとりあげていますが、別のネタをお知らせしています。
 
カッコ内の数字は参考にしたページです。

 
日本史偉人「健康長寿法」 (講談社+α新書)
日本史偉人「健康長寿法」 (講談社+α新書)

徳川家康の健康管理や薬調合

徳川家康が季節外れのものを食べなかったのは有名ではないでしょうか。織田信長から送られた桃を、季節はずれだからという理由で手をつけなかったのです。(他の理由も挙げられています)
 
 
また家康は冷たい食べものも絶対口にせず、真夏でも熱いうどんを食べたそうです。
 
食については「美味は月に2~3度で結構。平素は軽い、普通の食べ物が宜しい」がモットー。
 
 
鷹狩りで盛んに体を動かし、湯治、能、茶の湯、囲碁・将棋などで身体と頭脳の健康を保ちました。
 
 
家康は中国の医薬書「本草綱目」を研究し、自ら薬の調合も行っています。寄生虫症、痰、打撲、切り傷、精力増強に効く薬を作っていました。
 
 
これらは家臣や大名にも分け与えられましたが、「紫雪(しせつ)」という風邪薬だけは秘薬とされ、極めて近い血縁者にしか与えられなかったそうです。
 
 
また家康は医師の診療も積極的に受診していて、内科、外科、眼科など診療内容に応じて医師を替えていました。自身も医術に精通していたため、医師の誤診は厳しく糾弾したそうです。
(48~61ページ)
 
徳川家康に学ぶ健康法 (ハッピーライフシリーズ)
徳川家康に学ぶ健康法 (ハッピーライフシリーズ)
 
※徳川家康の健康関連話補足
 
粗衣粗食を心がけ、麦飯を常食し、味噌を好みました。消化の良さや栄養のバランスなどを考えて、自ら献立を作り、台所に伝えていたとも言われています。
 
久能山東照宮には家康が使った薬箱や薬研(やげん)が残されています。
 
精力剤も作ったという説まである一方、水銀を配合するなど時々とんでもない薬も作っていたようです。
 
「運動は健康に良い」ということを当時すでに意識しており、鷹狩りなどで積極的に体を動かしています。
 
病気らしい病気をしたことが無く、66歳になっても子供を作り、69歳の時には川で泳いでいます。
 
 
肥満体でしたが、75歳まで生きました。
 
死因は食中毒(鯛のてんぷらにあたった)とも、胃がんや梅毒とも言われています。ちなみに家康は茄子が大好物だったそうです。
 

伊達政宗 医学の知識

伊達政宗の遺骨は、1974年に発掘調査されています。その遺骨から、政宗は
 
身長159cm 血液型B型 筋肉質で逞しい 下あごがガッチリしている
 
人物だったことが判明しています。
 
 
医学の知識は玄人はだしで、家臣が病気になると政宗が診察していました。脈をとり、処方すべき薬までも判断し、その旨医師に伝えると、一度として誤ることがなかったのだとか。
 
 
当然、自身の診察も自分で済ませてしまうわけですが、だからといって医師を軽視することなく、自分の診断が怪しいと感じたらすぐに医師と相談し、治療をしていました。
 
 
また政宗は「夏はもちろん、冬であっても大きな茶碗で水を何度も飲んでいた」そうです。まるで現代のモデルのようです。
 
 
糖尿病ではのどが渇きますが、政宗が糖尿病であった形跡はありません。政宗の場合は「水を欠かさず飲むと健康に良い」と意識して飲んでいたと考えられます。
 
 
また政宗は、食事に対しては「人は身分に関係なく、朝飯・夕飯とも好物中心に喰うが良い。好きでもないものを喰っても、身体に良いはずがない」と語っていました。
 
献立を前もってチェックし、気に入らないところは修正して料理方に渡していました。
 
伊達政宗 謎解き散歩 (新人物文庫)
伊達政宗 謎解き散歩 (新人物文庫)
 
早寝早起きと清潔な生活も心がけていました。周囲にも「常に手を洗うことを忘れるな」と言い聞かせていたそうです。
 
 
さらに、
 
「冬でさえ小袖三枚も着重ねることはなく、頭巾もかぶらなかった。炬燵も布団をはねのけてあたらず、手を暖めるのみ。冬であってもときどき裸になった」
 
そうです。
つまり冬でも薄着で、暖房器具で身体を温めることはなかったのです。
 
「冬でも水を飲む」
「手を洗う」
「冬でも薄着」
「暖房を使わない」
 
現代でも十分通用しそうです。
(62~67ページ)
 
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