各種メディアや講演でも活躍されている高田明和医師は医学部生だったころ、座禅に強い興味を持っていたそうです。

お寺で一週間修行をしたこともあります。これは一週間ほとんど眠らずに座禅を続けるという厳しいものです。


また米国に留学中も座禅を欠かさなかったそうですから、いかに熱心だったかがわかります。
 
しかし、米国から帰国した高田医師の生活は不安定でした。
 
日本を離れていた高田医師には学内に居場所がなく、研究もままならない環境に置かれていたのです。
 

 
心に迷いが生じ始めた頃、また座禅をやってみようかという気持ちが強くなってきました。
 
禅の師匠として付き合いのあったある人に、高田医師が自分の心境を打ち明けると、その人は

あなたは教授などと言っているが、実体はないのと同じ。学識などは妄想を絶つのに何の役にもたたない
 
多くの人は社会的な地位とか、学識によりかえって真実を知ることができないのだ。自分など何ももっていないということころから始めないといけない。
 
その覚悟はできているのか。

と迫ったそうです。
 
それに対する高田医師の答えは

自分でも教授、医学博士などという肩書きなどは意味をもっていないし、自分が欠点だらけであるということはよく知っています。
 
これを無意味だと思う覚悟はあります。

でした。
 
ちょっと聞くと崇高な、立派な考えのように思えますが、高田医師によると、この考え方こそがうつを発症する発端でした。
 

 
こうした「精神修行」においては、次のような言いまわしをよく耳にします。
 
・社会的な地位や肩書きは何の意味もない
・人間の知識や経験などはとるに足らないもの
・自分がいかに欠点だらけの人間か認識する
 
確かに何となく哲学的で、立派な教えのようですが、これはとりようによっては自己の全否定でもあります。
 
実際に高田医師は、
 
「自分などダメだ。邪念の心があるなら、人を指導する資格などない(高田医師は当時教授として教鞭をとっていました)」
 
といったネガティブ思考がどんどん強くなっていき、最終的には完全にうつ状態になってしまいます。
 
気分と体は常に重く、不安を感じなくてすむ時間は「自分がどんなにダメでくだらない人間かを話しているときだけ」だったそうです。
 
ついには教授としての仕事すら辞めてしまおうかとまで思いつめることになります。
 
高田医師はこの自らの経験から、次のように主張されています。

・本当に信ずる人でない人に心の指導を頼むことは、決してしないこと
 
・自分のもっているものを捨てて、ゼロから出発するなどという意見に耳を傾けないこと
 
・人生で一番大事なのは自信である。精神論でお金、地位、所有物に意味がないなどという妄言には決して従わないこと

 
「自分を信じるために禅をするにしても、いま持っているものや状況を決して否定したり、無視したりしないこと」と強調されているのです。
 
高田明和医師の著書「本当に「うつ」が治ったマニュアル(Amazon)」22~34ページを参考にしました。