「万有引力の法則」で知られる科学者、アイザック・ニュートンは、晩年まで健康な歯を維持しました。
 
80歳を過ぎても、失くした歯は1本だけ。そのおかげか認知症などとは程遠く、死の直前まで知的活動を続けました。


しかし歯が達者だったため、何でも食べられたのは思わぬ弊害を生んでしまいます。ニュートンは「ぜいたく病」の痛風にかかってしまうのです。

当時の痛風は、最期には腎不全を起こし死亡してしまう病気でした。ニュートンは尿路結石も発症してしまい・・・

・石畳を走る際の振動で結石の痛みが増すことから、死の数年前には馬車に乗れなくなった
 
・死の20日前になると、激痛でニュートンがあまりに苦しむため、ベッドだけでなく部屋全体が揺れるほどだった

 
・・・という記録が残っています。
 
死の数日前からは腎不全から昏睡し、そのまま意識を取り戻すことなく、1727年3月31日に84歳で亡くなりました。
 
(2010年 12/1 東京スポーツ新聞 若林利光医師の「偉人たちに学べ 長寿への道しるべ」を参考にしました)
 
 
「タヒチの女」などが有名なフランスの画家 ポール・ゴーギャンは、晩年梅毒の症状に悩まされました。
 
パリの娼婦から感染したと考えられていて、ゴーギャンは入院を余儀なくされます。
 
49歳の時に、最愛の長女・アリーヌが亡くなるとゴーギャンは大きなショックを受け、この世で生きる気力すらも失いかけます。
 
しかし死ぬ前に大作を描こうと思い立ち、名作「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」を完成させます。
 
その後ヒ素を飲んで自殺を図りますが未遂に終わり、54歳で亡くなるまで創作活動を続けます。
 
亡くなったのは1903年 5月8日でした。
 
 
ちなみにゴーギャンは23歳で株式仲買人になり、高収入を得ていました。しかし、26歳で絵画塾に通い始めたことが人生を一変させます。
 
34歳の時に起きた金融恐慌を境に株式仲買人をやめてからは画家を生業にしたわけですが、絵は全く売れません。
 
貯蓄は無くなり、一家離散という結果に。それからはずっと貧困との戦いでした。
 
(2010 8/4東京スポーツ新聞 若林利光医師の「偉人たちに学べ 長寿への道しるべ」を参考にしました)