健康法とは、基本的に
 
「身体に良さそうだからこれをやろう」
「これは良くないからやめよう」

 
の二つの考え・行動から成り立っています。

私の場合、毎日のように「これは良くないからやめよう」と考える場面があるのですが、実践できるかどうかはこれがまた別の話。いつまでも「やめる」習慣として定着できません・・・orz
 

 
以前読んだ「無病法(Amazon・試し読みあり) 」という本に、ちょっと考えさせられるくだりがありました。
 
個人的に印象に残ったので、長いですが引用させて頂きます↓

動物としての人間の自然な欲求に逆らった行為がいかに難しいものであるかは、おそらく説明するまでもあるまい。とくに食欲旺盛な健常者にとっては容易なことではない。
 
若い医師がコルナロの話に感動して、「極少食」を試みたものの、けっきょくのところ出来なかったと告白していた件が本文のなかにもあったが、現代でも、名医の方々でさえ同じような度重なる挫折の経験を告白しておられる。
 
年齢にもよるが、志をもった健常者でも、挫折のくり返しが十年、二十年と続くこともある。また、そうした中で中断の期間が数年にわたることもあるだろう。
 
当のこのコルナロの紹介者(むらお注 編訳・解説の中倉玄喜氏のこと)も、恥ずかしながら、例外ではない。元来しごく健康なこともあって、コルナロのような切実さに欠け、長年あきれるほどに右のような挫折をくり返している。
 
(中略)
 
だが、だれの場合であれ、病気にいたるまえのこの種の挑戦には、それ自体の中にすでに大きな利点がいくつもある。
 
一 そうした過程をへて体質がしだいに変化し、健康的な食事を好むようになり、量的にも以前よりは節食になれてくる。
 
いざという時に、知識だけの蘊蓄が無力に終わりがちなのにたいして、たとえ時々の努力であっても、それによって身体に根ざした力は意外に大きい。
 
 
二 その一方で、過食の害が敏感に感じられるようになる。
 
自然で健康な食べものであっても、自分の体質には好ましくないものがあることも知るようになる。また、そうした過程で、自分特有の症状も一時的に出やすくなる。
 
そのため、予防にせよ治療にせよ、一般の医療や医学では得られない、個人的な体質を反映した、自分にとって正しい対処の仕方が基本的に分かってくる。
 
コルナロがいうように、まさに「自分自身が自分の医者となる」。
 
 
三 健康情報にたいする関心がたかまり、基本的なことについてさえ正反対の学説が流れていることや、マス・メディアによる情報の多くがスポンサー企業への配慮などから内容が偏っていて、それがひいては誤った常識の一因となっていることなども知るようになる。
 
長年の間にはこの分野の本を数百冊も読む人もいるだろう。あるいは多読よりむしろこの種の古典を機会あるごとに精読する人も少なくあるまい。
 
その結果、いずれも右の(一)、(二)で得られた経験を理論的(医学的)にもしだいに正しく解釈できるようになる。
 
 
四 このような健常者の多くは、いわゆる”定期健診”の類からはすでに遠ざかっている。
 
したがって、珍しくない誤診や薬害あるいは早期発見による不要な手術などの危険性からまぬがれる。かりに重い病気の症状があったときでも、薬も飲まず、過去の経験を基礎に、ただ食生活を厳格に正すことだけで治すことができる。
 
むしろこのような機会は、「極少食」やそれに次ぐ節食の習慣化へ向けて真剣な努力の契機となる。
 
以上のような次第で、人生のできるだけ早い時期から然るべき食生活を基本にした正しい養生法に関する知識と経験とを深めていくことが大事である。
 
右のような知識も経験もない人は、定期健診その他でガンの宣告などをうけるとパニックにおちいりがちだ。当然のことながら、自分ではどうしてよいか分からず、ひたすら医療に頼らざるを得ない。各界の著名人の死去の多くも、このような部類に入る。
 
見識ゆたかな方たちであっただけに、ひとしお残念なことである。
 
「無病法」125~128ページより

「改善したいなぁ」と考えるのは、食事に関することが多いのではないでしょうか。
 
私の場合、
 
「食べ過ぎないように」
「袋菓子や甘いものは控え目に」
「コンビニ食は極力食べない」
「アルコールを連日飲まない」
 
などが課題なのですが、いまだに腹いっぱい食べるときがありますし、袋菓子にもたびたび手を伸ばしてしまいます。自分でもイヤになるほど、長いこと挫折をくりかえしているのです。
 

 
でも「無病法」によると、こうした挫折は意外と誰でも経験しているようです。もしかしたら、挫折しない人のほうが珍しいかも。
 
思うに、最もダメなのは、
 
どうせできないのだから、欲望のまま好きなようにやろう!
 
と改善を放棄し、完全にやめてしまうことではないでしょうか。
 
たびたび挫折しながらも、続けていれば長い目で見れば習慣と呼べるかもしれません。でもやめてしまっては、それは健康に無頓着な人の生活と変わらなくなってしまいます。
 
結論としては、
 
健康に良いことであれば、挫折しても続けるべき
 
なのです。
続けていれば、それは挫折ではないかもしれません。試行錯誤を繰り返しつつ、あまり気張りすぎずに実践してみて下さい。
 
日常生活の中で、少しずつでも「良いこと」を増やしていけば健康に近づけるので。