杉田玄白 度重なる病との闘い

「解体新書」を書いた杉田玄白は医者だったため、自分の体調を客観的に、克明に記録していました。
 
83歳まで生きましたが、晩年は次々と襲う病との闘いに耐える日々だったようです。
 
(このコンテンツは平成23年2月23日付九州スポーツ新聞 若林利光医師のコラム「長寿への道しるべ」を参考にしています)
 

玄白は癪(「しゃく」 胃・十二指腸潰瘍や胆石)の持病があったものの、それ以外は特に大きな病を患いませんでした。若いころ飲んでいた酒は、中年を過ぎてやめています。
 

 
玄白が体を壊すきっかけになったのは、可愛がっていた孫の死です。
 
ショックのあまり寝込むようになり、めっきり老け込んでしまいました。以来、数々の体調不良に襲われます。

・長距離を歩けなくなる
・遠くも近くも見えにくくなり、読書や書きものも満足にできなくなる
・鼻詰まりで嗅覚も鈍くなる
 
・難聴と耳鳴りに悩まされ始める
・歯も60歳頃から抜け始め、80歳になると歯が全て抜けてしまう
・さらには便秘、頻尿も
・パーキンソン病と思われる歩行困難(突進歩行)も発症

医師である玄白も、闘病の辛さからか「死んだほうがましではないかと思うこともある」と言うようになります。そんなときは散歩をしたり、弟子たちと話をして気分を紛らわしました。
 
最期は数日間病臥したものの、苦しむことなく亡くなりました。
 
複数の病に悩まされたにも関わらず、認知症にはならなかったようです。
 

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